キミ、なっちゅをもらえるかね
2012
1時間くらいラクガキした。
広々としたところですっぱだかで座るんはきもちいいでしょう。
しかし東京にそんな場所はありはしないのです。
したがって、都会人の多くは部屋の中で素っ裸になります。部屋の中は誰にも見られることなく安心して素っ裸でいられるので、ハダカニストたちは男女問わず裸で暮らしています。熟練のハダカニストともなれば首からポーチを下げて最低限必要なツールをそこにしまっているそうです。
ビギナーのハダカニストはレースのカーテンなど光を透過する生地が夜になると室内の光を透過することを忘れてはなりません。秘められたハダカニスクな暮らしが世界に向けて解き放れてしまうからです。かならず透けない生地のカーテンを購入しましょう。うちの近所にはスケスケカーテンのままパンツ一丁で暮らしているおっさんがおり、夜になるとガラスケースの中で生活するパフォーマンスをしているのかと思うほどスケスケ状態になります。シムシティか。
ちなみに、女性がセクシーな服を着た場合、夜になって体が光ればスケスケになりますが体は光らないのでスケスケになりません。これは大変に残念なことです。なぜなら、もし女性が光るようであれば、産卵のシーズンになると光ってオスたちを誘引するという行動が見れるかもしれないからです。そしてオスたちは日常から光に対して非常に敏感になるでしょう。懐中電灯の光やカメラのフラッシュによって二つ折りになって昇天するようなものがいたかもしれません。なおその際、オスは戦闘頭部位のみが光るとかすると書店のアダルトコーナーとかツタヤのアダルトコーナーとかで超光るかもしれません。今すぐ照明を落とすんだ!
マーガリンは毒なのです。よくない油なのです。本に書いてあった。
あたくしはマーガリンを塗った上にいちごジャムを塗って食べるトーストが大好きでした。たっぷりと塗りつけてくうマーガリンいちごトーストは子供時代のあたくしの精力的な暮らしの中にあっても最高のエンターテインメントのひとつでした。
当時、うちにはおやつという制度がありませんでした。ゲームけしからん、ひょうきん族は股間にアヒルの首がついたブリーフ一丁でたけしが突っ立っているのでけしからん、おやつなど戦争中はなかったので現代でもないものとする、マンガなど読む必要はない、などの神聖不可侵な憲法があたくしから標準的な子どもが得られるであろう機会を奪っていたのです。
あたくしは塩、ナイフ、マッチを手渡され、山に解き放れました。山にあるものはなんでも突き刺して燃やして塩を振って食ってよろしい、と言い渡されていました。最初は木の実や山菜、きのこなどを食べていましたが、そのうちザリガニ、川エビやサワガニ、あるいは自転車で山を越えて干潮の稲村ケ崎などに行き、ウニやトコブシ、イカタコなどを食べていました。2年もするとあたくしは小動物を襲うようになりました。農家から拝借した農具でイノシシを突き刺して肋骨を折られたり、マムシに噛まれて救急車で運ばれたりしました。(死にませんでした)
世の中はファミリーコンピュータ全盛の時代です。学校でもあたくし以外の子どもたちはジャンプとひょうきん族とファミコンの話ばかり。話に入れないあたくしはスーパーマリオの無限1UPのテクについて熱弁を振るう同級生をいきなり後ろから竹ほうきの柄で叩いたりしてなんとかコミュニケーションを取っていました。
クラスに馴染めない子どもは誰にも顧みられることなく机の端っこで丸まってすごさなくてはなりません。しかしあたくしは竹ぼうきのおかげで誰からも「目が離せない存在」になっていたのです。クラスにはあたくしに隙だらけの後頭部を晒すものはいなくなりました。食事中でもお構いなしだったため、給食の時間にはあたくしを囲むようにして食事が行われました。先生はとても喜んでいましたが、もちろん友情から出た行動ではありません。子どもたちが自律的に考えだした防衛手段だったのです。
しかし、子どもというのは非常に順応性の高い生き物です。毎日囲まれているうちに、いつしかあたくしを警戒していた子どもたちとあたくしは普通に話をするようになり、最後にはジャンプやゲームウォッチを貸してくれるほどになりました。あたくしの冷え切った心も徐々に温まり、ゲームとマンガとお勉強くらいしか知らないブサイクなシチサンメガネどものことがだんだん好きになっていったのです。
となり町のワルが攻めてきた時などには無慈悲な兵器として、ともだちを守って闘ったりもしました。当時のあたくしの戦闘は「どの方向からなにをされようと立って動いている人間は棒で全力で叩く」というスタイルでした。この全力というのはあたくしがイノシシを襲って返り討ちにあったときの全力であり、つまり「殺してくう」という強い意志を原動力とした真の全力です。身体のどこかに当たれば大抵の人間は悲鳴を上げて逃走しました。
でも、中学生のワルに拉致られたときは誰も助けに来ませんでした。あのシチサンメガネどもは学校が終わったあとにはおやつを食べてから塾が行く用事があるのです。あたくしは倉庫みたいな所で「こいつらが塾に行くまで耐えればうちに帰れる」と思っていました。しかし、中学生のワルたちは塾になど行っていなかったのです。倉庫の主がたまたま材木を取りに来なかったら、あたくしはどうなったかわかりません。
(おおむねフィクションです)
そんで、10年くらいして立派なおとなになった。
次回:白石峠アタックレポ
+ありこ+
広々としたところですっぱだかで座るんはきもちいいでしょう。
しかし東京にそんな場所はありはしないのです。
したがって、都会人の多くは部屋の中で素っ裸になります。部屋の中は誰にも見られることなく安心して素っ裸でいられるので、ハダカニストたちは男女問わず裸で暮らしています。熟練のハダカニストともなれば首からポーチを下げて最低限必要なツールをそこにしまっているそうです。
ビギナーのハダカニストはレースのカーテンなど光を透過する生地が夜になると室内の光を透過することを忘れてはなりません。秘められたハダカニスクな暮らしが世界に向けて解き放れてしまうからです。かならず透けない生地のカーテンを購入しましょう。うちの近所にはスケスケカーテンのままパンツ一丁で暮らしているおっさんがおり、夜になるとガラスケースの中で生活するパフォーマンスをしているのかと思うほどスケスケ状態になります。シムシティか。
ちなみに、女性がセクシーな服を着た場合、夜になって体が光ればスケスケになりますが体は光らないのでスケスケになりません。これは大変に残念なことです。なぜなら、もし女性が光るようであれば、産卵のシーズンになると光ってオスたちを誘引するという行動が見れるかもしれないからです。そしてオスたちは日常から光に対して非常に敏感になるでしょう。懐中電灯の光やカメラのフラッシュによって二つ折りになって昇天するようなものがいたかもしれません。なおその際、オスは戦闘頭部位のみが光るとかすると書店のアダルトコーナーとかツタヤのアダルトコーナーとかで超光るかもしれません。今すぐ照明を落とすんだ!
マーガリンは毒なのです。よくない油なのです。本に書いてあった。
あたくしはマーガリンを塗った上にいちごジャムを塗って食べるトーストが大好きでした。たっぷりと塗りつけてくうマーガリンいちごトーストは子供時代のあたくしの精力的な暮らしの中にあっても最高のエンターテインメントのひとつでした。
当時、うちにはおやつという制度がありませんでした。ゲームけしからん、ひょうきん族は股間にアヒルの首がついたブリーフ一丁でたけしが突っ立っているのでけしからん、おやつなど戦争中はなかったので現代でもないものとする、マンガなど読む必要はない、などの神聖不可侵な憲法があたくしから標準的な子どもが得られるであろう機会を奪っていたのです。
あたくしは塩、ナイフ、マッチを手渡され、山に解き放れました。山にあるものはなんでも突き刺して燃やして塩を振って食ってよろしい、と言い渡されていました。最初は木の実や山菜、きのこなどを食べていましたが、そのうちザリガニ、川エビやサワガニ、あるいは自転車で山を越えて干潮の稲村ケ崎などに行き、ウニやトコブシ、イカタコなどを食べていました。2年もするとあたくしは小動物を襲うようになりました。農家から拝借した農具でイノシシを突き刺して肋骨を折られたり、マムシに噛まれて救急車で運ばれたりしました。(死にませんでした)
世の中はファミリーコンピュータ全盛の時代です。学校でもあたくし以外の子どもたちはジャンプとひょうきん族とファミコンの話ばかり。話に入れないあたくしはスーパーマリオの無限1UPのテクについて熱弁を振るう同級生をいきなり後ろから竹ほうきの柄で叩いたりしてなんとかコミュニケーションを取っていました。
クラスに馴染めない子どもは誰にも顧みられることなく机の端っこで丸まってすごさなくてはなりません。しかしあたくしは竹ぼうきのおかげで誰からも「目が離せない存在」になっていたのです。クラスにはあたくしに隙だらけの後頭部を晒すものはいなくなりました。食事中でもお構いなしだったため、給食の時間にはあたくしを囲むようにして食事が行われました。先生はとても喜んでいましたが、もちろん友情から出た行動ではありません。子どもたちが自律的に考えだした防衛手段だったのです。
しかし、子どもというのは非常に順応性の高い生き物です。毎日囲まれているうちに、いつしかあたくしを警戒していた子どもたちとあたくしは普通に話をするようになり、最後にはジャンプやゲームウォッチを貸してくれるほどになりました。あたくしの冷え切った心も徐々に温まり、ゲームとマンガとお勉強くらいしか知らないブサイクなシチサンメガネどものことがだんだん好きになっていったのです。
となり町のワルが攻めてきた時などには無慈悲な兵器として、ともだちを守って闘ったりもしました。当時のあたくしの戦闘は「どの方向からなにをされようと立って動いている人間は棒で全力で叩く」というスタイルでした。この全力というのはあたくしがイノシシを襲って返り討ちにあったときの全力であり、つまり「殺してくう」という強い意志を原動力とした真の全力です。身体のどこかに当たれば大抵の人間は悲鳴を上げて逃走しました。
でも、中学生のワルに拉致られたときは誰も助けに来ませんでした。あのシチサンメガネどもは学校が終わったあとにはおやつを食べてから塾が行く用事があるのです。あたくしは倉庫みたいな所で「こいつらが塾に行くまで耐えればうちに帰れる」と思っていました。しかし、中学生のワルたちは塾になど行っていなかったのです。倉庫の主がたまたま材木を取りに来なかったら、あたくしはどうなったかわかりません。
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